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年金の「繰上げ受給」「繰下げ受給」について考える

去る529日、年金改革関連法案が成立しました。

パートなどの短時間労働者への厚生年金適用拡大や、6064歳の間の在職老齢年金制度における減額基準の引き上げ(28万円から47万円に)に加え、年金受給開始時期の75歳までの繰り下げが可能となりました。(いずれも20224月から実施)。

今回はFPの立場から、年金の繰り上げ受給、繰り下げ受給について考察してみましょう。

 

年金の繰上げ受給と繰下げ受給とは?

まず、繰上げ受給、繰下げ受給について簡単に整理しておきます。

老齢年金は65歳からの受給開始が原則ですが、実は、現行の年金制度でも、この受給開始時期を6070歳までの間で変更することが可能で、65歳より前に受給を開始することを繰上げ受給、後に受給を開始することを繰下げ受給といいます。

今般の法案成立により、この選択肢が6075歳までに広がります。

年金の繰上げ受給とは、年金の支給開始年齢を前倒しにすることで、前倒し期間に応じて年金受給額が月あたり0.5%減額されます。例えば、61歳で繰上げ請求すると、4年(48か月)前倒しで受給する分、年金は24%(=0.5%×48ヶ月)減額され、76%が支給されます。逆に繰下げ支給とは、支給開始時期を後ろ倒しにすることで、その期間に応じて年金受給額が月あたり0.7%増額されます。(下表参照)

【支給開始年齢別の支給率(抜粋)】


   受給額に応じた税金は考慮しておらず、また端数処理も行っていないため、実際の手取りとは異なります。(以下、全表同様)

 

繰上げ受給、繰下げ受給のメリット・デメリット

繰上げ受給のメリットは、すぐに年金の受け取りを開始できることです。

無年金期間であるはずの65歳まで間に収入を確保できるのはありがたいことですが、繰上げ支給による減額率は、一生涯続きます。65歳になったら、本来の支給額に戻るということはありませんので注意してください。

繰上げ受給者の請求理由として最多の「長生きすると思っていない」にはコメントのしようがありませんが、長期的視点から、老後の収入の柱となる年金の減額に問題がないのかについては、冷静に確認しておきましょう。

高額の厚生年金の受給が見込まれるなど、減額されても十分に生活は成り立つが、貯蓄がなく、無年金期間を乗り切ることが難しい、あるいは減額も気にならないほどの十分な貯蓄はあるので早く安定した生活を手に入れたいという人には考え得る選択です。

一方、繰下げ受給は、支給開始が遅れるというデメリットはありますが、一生涯にわたり年金が増額されますので、長生きした場合にも、増額された年金を受け取り続けることができるというメリットがあります。

当面の資産には余裕があり「長生きのリスク(予想以上に長生きしてしまったがために貯蓄が底をつき、お金が足りなくなってしまうこと)」に備えたいという人や、65歳以降もそれなりの収入があり、まだ年金を受給しなくても生活できるという人には、より大きな安心を得るためにもお勧めです。

 

繰上げ受給、繰下げ受給の「損益分岐点」

繰上げ受給では生涯減額が続き、繰下げ支給では生涯増額が続くことになりますが、結局、どちらが『お得』なのでしょう。

年金の受給開始時期別(ただし、年単位のみ)の累積受取額から「損益分岐点」を探ってみると、下表のとおりになります。 

   実際の年金額には改定がありますが、年金額の変更はないものとして計算しています。

要するに、(男性の場合、一部オーバーしていますが)概ね、平均余命以上生きるのであれば繰下げ受給をしたほうが得だということです。

しかし、自分が平均余命以上生きることができるのか否かなどわかりません。

したがって、生涯受給額によってその損得を判断することは不可能です。


繰上げ受給、繰り下げ受給の判断基準

繰上げ受給、繰下げ受給の是非については様々な意見がありますが、FPとしては“安定した生活のためには年金月額がいくら必要なのかを考えるべき”と伝えたいです。

どういう事かと言うと、例えば、昨年話題となった「老後資金2千万円」は、総務省の『家計調査報告』(2017年版)に基づいて、高齢無職夫婦世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の無職世帯)の月間収支が54,520円の赤字であることから、以降30年生きるとすると取り崩すべき貯蓄として2千万円が必要だという理屈で述べられたものです。この理屈に基づけば、年金があと55,000円増やせれば、貯蓄なしでも生活に困る心配はないということになります。

生涯受取額や現在価値などの計算をするよりも、この「月額を55,000円増やす」ことに着目すべきだ、ということです。


最新のデータを使って、改めて具体的な数字で見てみましょう。

『平成30年度厚生年金保険・国民年金事業の概要』(厚生労働省)によれば、年金の平均受給額は、自営業者や専業主婦など「国民年金のみ」の場合、55,708円/月、会社員や公務員など「国民年金+厚生年金」の場合、全体では143,761円/月、男性に限定すると163,840円/月です。したがって、例えば生涯サラリーマンの夫と専業主婦の妻で、それぞれが平均額通りの年金を受給したとすると、世帯年金受給額は219,548円/月となります。

一方、総務省『家計調査報告』(2018年版)によれば、高齢夫婦世帯の支出額は264,707円です。(「ゆとりある老後生活費」は34.9万円との説もありますが、ここでは平均値を使用します。)

このデータを基に、繰上げ受給、繰下げ受給を行った場合の年金額(年単位限定)と支出額を比較すると、以下のとおりになります。


上記表から、老後の就労や退職金等の取り崩しで68歳まで年金に頼らずに生活し、その時点から繰下げ受給を行えば、それ以降の生活費はすべて年金で賄えることになります。

もっとも、世帯の生活費に一般論などありませんので、繰上げ受給、繰下げ受給については、自分が老後をどのように過ごしたいか、そのためには毎月いくら必要なのかを考え、資産と収入のバランスを見据えながら、「自分はどうすべきか」を考えなければなりません。

 

安易な繰上げ受給優位説には要注意

繰上げ、繰下げ受給については、雑誌やWebでも盛んに“損得比較”が行われており、繰上げ受給を推奨している論調も目につきます。これを否定するつもりはありませんが、その根拠や対応については疑問も少なくありません。

まず、将来の年金削減に対する危惧や、年金制度崩壊の懸念から、「貰えるうちに貰わないと!」の主張については、残念ながら現在の状況を見れば、その不安も仕方ありません。国には、国民の信頼回復に向けた努力をお願いしたいところです。

次に、高齢になるとそれほどお金はいらないので年金の減額も問題ないという理由です。

先述の『家計調査報告』をはじめ、統計的には、単身世帯、夫婦世帯の別にかかわりなく、多くの高齢者世帯の月間収支は赤字であり、現役時代の貯蓄を取り崩しながら生活しているのが一般的な姿です。「そんなにいらないどころか、足りてないよ!」と突っ込みを入れたくなる理由です。

少なくとも今後「年金だけでは老後の生活は成り立たない」のは、多くの現役世代も認識しているとおり、公然の事実といってもよいでしょう。

そして根本的な勘違いが、年金受給開始前に死亡したら「元も子もない」との主張です。この主張の根幹には、「保険料で納めた額を取り返す」という発想があります。発想としては、「医療保険に加入したら病気をしないと損」や「雇用保険料を納めているのだから失業しなければ損」と同じで、馬鹿げているというほかありません。年金も“保険料”を支払っているわけですから、収入保障保険だと考えればよいのではないでしょうか。老後に収入がなくなる、あるいは大きく減少したときに補填を行ってくれるのです。それも終身補償です。つまらない損得勘定からこの補填額を自ら減額することが賢明な選択とは思えません。

老後の生活保障を目的とする年金制度への甚だしい勘違いがあることは明らかですが、こうした記事では、必ず、繰上げ受給によって余暇を楽しんでいる人が紹介されます。「繰上げ受給した年金で元気なうちに旅行でもします」…これは、年金で日常生活費を賄わなくて済むからこそ出てくる言葉です。老後資金の心配が要らないほどの資産を築いている人、自営業や士業で生涯現役として日々の生活費を稼ぎ続けることのできる人などの場合、年金は、いわば“お小遣い”ですから、減額も気にならないのでしょう。しかし、大多数の人にとって、年金は日々の生活の糧です。ただでさえ十分とは言えない年金をさらに減額して受給することが望ましいはずがありません。

加えて、働きながら繰上げ受給をすると『在職老齢年金』の適用を受け、さらに年金が減額される恐れがあるので、その時は週3日勤務にするなどの就労調整をして収入を減らすなどという対応策(!?)まで紹介されていることがあります。「老後は働きたくない」のであればそうした選択も考えられますが、繰上げ受給のために給与を得られる道を自ら断つ、制限する(=生涯収入を減らす)など、開いた口がふさがりません。


話を戻しますが、年金を受給する前に死んでしまう、あるいは寝たきりなどになってしまう可能性はゼロではありません。その意味では、年金を貰えなかったら、あるいは貰っても使えなかったら損だという“気持ち”は、わからないわけではありません。

しかし同時に、長生きした場合のことを忘れてはいないでしょうか。個々の人生に統計は無意味かもしれませんが、平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳(2019年調査)、健康寿命は男性72.14歳、女性74.79歳(2016年調査)。統計上は、70歳までの繰り下げを行っても、“元が取れる”まで生きるし、受給開始時には健康体です。

年金は、老後の安定した生活の確保のためにあります。贅沢はできなくても経済的な不安を抱えることなく生きることができるのなら、“元が取れるか否か”は大きな問題ではないのではないでしょうか?つまらない損得勘定から減額された年金を受給して、「長生きしたらどうしよう」と怯えながら生きるほうが楽しいのでしょうか?

究極の選択として、後悔する結果が訪れるとするなら、病の床、あるいは図らずも死を目前にして「こんなことなら繰上げ受給して元気なうちに楽しんでおけばよかった」と後悔するのと、85歳、90歳になって、今日の食費にも苦労する中で「こんなことなら繰下げ受給して年金を増やしておけばよかった」と後悔するのと、どちらを選びますか?

どうせ考えるのなら、年金保険料の元を取る心配より、長く楽しく生きるための経済基盤の中で、年金には、いつからどのぐらいの役割を担ってもらうのがベストなのかを考えるほうが良いのではないでしょうか?

念のために付け加えておきますが、これは偏った情報に基づく安易な繰上げ受給優位説への警鐘であり、繰下げ受給の勧めではありません。

繰り返しですが、繰上げ、繰下げ受給は、自分が望む老後の過ごし方と、これを実現するための必要資金を知り、資産と収入のバランスを見据えて考えるべきものです。

その結果、どちらを選ぶのがベストなのかは、人それぞれです。

 

繰上げ、繰下げ受給に伴う他の年金への影響

繰上げ、繰下げ受給を行うことによって、他の年金が受け取れなくなることがありますので、この点には注意が必要です。

例えば、障害の悪化により再請求する『事後重症による障害年金』は、本来65歳まで請求できますし、遺族基礎年金の受給権のない妻に支給される『寡婦年金』は6065歳まで受給できますが、繰上げ請求により本人の老齢年金の受給を開始した時点で請求権、受給権を失います(すでに受給していた場合打ち切られます)。

一方、繰下げ受給時には『加給年金』に影響があります。

具体的には、厚生年金に20年以上加入していた人で、65歳に達しない(=夫より年下の)妻がいる場合、厚生年金に加給年金が上乗せされますが、繰下げ支給により厚生年金自体を受給していない場合、上乗せ年金である加給年金も支給されません。繰下げ請求後も、加給年金には増額率の適用がありませんので、事実上、繰下げた期間の加給年金は受け取りを放棄したことになります。(繰下げ受給に限っては、厚生年金と基礎年金で対応を分けることができますので、基礎年金のみを繰下げ、加給年金の支給条件である厚生年金は本来の65歳から受給することとすれば、加給年金は全額受給できます。)

これらの年金の受給資格がある場合には、老齢基礎年金、老齢厚生年金の増減率だけで判断すると、思わぬ“損”をすることがありますので注意してください。


なお、本稿では、制度の概要理解を目的としているため、主だったポイントにしか触れておりません。具体的に、繰上げ、繰下げ受給を検討するにあたっては、専門家と相談の上判断してください。

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