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今できるささやかな「地域支援」

日本は、本当に「オーバーバンキング」なのか?

緊急事態宣言の解除から3週間が経過しようとしている。

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴う自粛によって凍りついてしまった経済活動の再開に向けた動きが、今、全国ではじまっている。その中で、地域の中小零細企業を支えるべき地域金融機関の存在意義が、改めて問われている。

 

コロナショックでわかった地域金融機関の重要性

ここまでも、地域金融機関サイドからは、「この先の展望も不透明な中、正直、片目、両目をつぶった緊急融資も相当やってきた」といった、地域の企業等のために出血覚悟の対応を行ってきたとする声も聞かれる。一方、メディアなどでは、今般のような事態における支援は政府系金融機関等の役割との姿勢から、「腰が引けていて、その対応は十分ではない」などの論評も見られる。

どちらが真実なのか、現場に足を運ぶことができない今の状況の中では検証する術もないが、5月の地銀・第二地銀の貸出残高が前年同月比3.8%増、信金も2.7%増(日本銀行、「貸出・預金動向」)と、例月を1%以上上回る高い伸びを示していることや、(“正念場”は夏場以降と思われるが)現時点での全国の倒産件数が237件(610現在、帝国データバンク)に留まっており、その中にはコロナ前から危うい状況にあった企業も相当数含まれるという実情を見れば、地域金融機関の言い分を信じてもよいような気がする。

 

その是非はさておき、地域の中小零細企業等への支援は、グローバル&大企業志向のメガバンクや、マネー取引に傾注するネットバンクにできることではなく、コロナショックは、図らずも地域社会における地域金融機関の重要性を再認識させるものとなった。

 

『地域金融』の理解が十分ではないと、地域金融機関の存在意義も理解できず、地銀不要論(「オーバーバンキング」や「一県一行」などの論説はその典型)に結びつき易くなるのだが、『グローバル金融』花盛りの近年、残念ながら、こちらが主流だ。

ただ、コロナ対応が急がれる中、この論調も一旦、影を潜めている。

 

超低金利政策が続く中で、地域金融機関の先行きについて景気のいい話は聞こえてこないが、地域経済の活性化に向け、地域金融の中核を担うことになる地域金融機関の役割は大きい。同時に、地域経済の再生・創生が成るか否かは、地元の金融機関が地域金融機関としての本分を果たせるか否かにかかっているといっても過言ではなく、その責任も大きい。

 

地域金融機関の将来像についても機会があれば触れていきたいが、今回は、銀行コンサルタントの立場から「オーバーバンキング」について述べてみたい。

 

盲目的に信じられているオーバーバンキング

「オーバーバンキング」は、今では常識として受け止められているといっても過言ではないが、大半の人は、具体的に、日本にはどのぐらいの金融機関が存在しているのかを知らない。ましてや諸外国の金融機関数など見当もつかないのに、「世界中を見渡しても、これほど金融機関が多い国はない」と言っている。

要するに、識者と称される人の言葉を鵜呑みにしているだけで、「本当にそうなのか」はわかっていないことが多いのだ。

 

筆者に言わせれば、「オーバーバンキング」は、「一県一行」などと並び、バンキング業務を理解していない者の短絡的な発想であり、実に“ナン・センス”だ。

 

もっとも、かくいう筆者も、利下げ競争が過熱していた一時期「バナナの叩き売り業者が軒を連ねて商売していたのでは、誰も生き残れませんよ」と、オーバーバンキングを連想させる表現をしていたこともある。ただ、筆者の本意は、かつてお金を調達すること自体が容易ではなかった時代(昭和50年代半ばまで)と同じように、金融機関が単なるブローカー業務から脱しないことに対して、「この金融超緩和時代に“ただの金貸し”に過ぎない金融機関がいくつもあったって消耗戦にしかならない」というものだ。

この意味では、今もその考えに変わりはないが、ステレオタイプのオーバーバンキング論者と同一視されることを避けるため、最近は言わないようにしている。

 

日本の金融機関数は多くない

そもそも「オーバーバンキング」は、真実なのだろうか。

金融も、国民性や慣習次第でそのスタイル、土壌が大きく異なるため、他国との比較にどれほどの意味があるのかは疑問だが、まずは単純に金融機関の数を比較してみたい。

 

我が国の金融機関は、周知のとおり、長引くゼロ金利政策による収益環境の悪化から、経営統合による減少が続き、20203月末時点では、各種銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫、JAをすべて合わせて1,133だ。(なお、JA(=584組合)は、対外的には“JAバンク”としてワンブランド展開しており、これを尊重すれば550になるが、今回は表向きの1,133機関として話を進める。)

 

金融大国アメリカでも、近年、金融機関は減少傾向にあるそうだが、それでも商業銀行、貯蓄銀行、信用組合を合わせると10,700余の金融機関が存在する。人口は33千万人と我が国の2.6倍程度、名目GDP20.5兆ドル余で我が国の4倍強だが、金融機関数はおよそ9.5倍だ。

 

欧州の雄ドイツ。日本同様、伝統的に銀行借り入れを中心とする間接金融が資金調達の柱である国だ。ドイツにおける金融機関数推移も右肩下がりの状況が続いているが、商業銀行、貯蓄銀行、協同組合に専門銀行を合わせると、約1,500の金融機関が存在する。人口は8,300万人と我が国の23程度、名目GDPはおよそ4兆ドルと我が国の8割程度だが、金融機関数は1.3倍ほどとなる。

 

日本とともに自由主義圏の経済大国である両国との比較において、日本は実数ベースでも最小、人口比、GDP比ではさらに少ないことがわかる。

また、ともに人口は我が国の半分程度、名目GDP6割程度であるイギリス、フランスの金融機関数は、それぞれ800弱、250強で、実数では両国を上回るが、人口比、GDP比ではイギリスよりは少ない。ちなみに、人口は半分以下、GDPは我が国の4割に満たない韓国の金融機関数は2,400弱、実に我が国の2倍に及ぶ。


以上のとおり、日本の金融機関数は、実数では3位(韓国を含めば4位)だが、人口比、GDP比ともにG7国の中では5位、韓国を含めた8か国ではいずれも6位と下から数えたほうが早く、むしろ少ない部類に入るのだ。

 

作り上げられた「オーバーバンキング」に惑わされるな!

実は、オーバーバンキングを語る人の中には、こうした事実を知らない残念な人も少なくない。また知っている人であっても、諸外国と比べ、日本の金融機関の規模(金融機関の規模は、通常、総預金残高を中心とする資金量で表される)が大きいことや、それぞれが有する店舗数が多い(※)ことなどを挙げ、これをもってオーバーバンキングを主張するわけだ。

   24,000局に及ぶ郵便局もカウント対象とされることも多いが、郵便サービスにおけるユニバーサルネットワークの維持が主目的であり、銀行店舗として設置されたわけではない簡易郵便局までをカウントしたうえでの過剰論は、強引と言わざるを得ない。

 しかし、ここでよく考えてもらいたい。

規模が大きいことや店舗数が多いことは、「過剰」に結びつくのだろうか。

コンビニの売上高がスーパーを凌ぐほど大きくなったのは、コンビニが過剰だからなのだろうか。規模の拡大を目指すコンビニが店舗数を増やしたら、そのことが「コンビニ過剰論」として問題視されるようになるのだろうか。

そんなバカな話はないだろう。

どのような業界であれ、新規出店(≒事業規模の拡大)にあたっては市場分析を行い、勝算があるから出店するのだ。つまり、店舗数は、そこにビジネスチャンスがあるから増えるわけで、その結果、規模が拡大するのは成功の証と言ってもいい。

いずれも「過剰の反証」とはなっても、これを指摘する根拠にはならない。

近年、金融機関による店舗統廃合が相次いでいるが、これは超低金利政策に伴う収益環境の悪化への対処、すなわちコスト低減策として実施しているのであり、過剰だから減らしているわけではない。そしてこの「店舗統廃合案」に対し地元からの反対の声が上がることが多いのも、「過剰の反証」と言えよう。

 

周知のとおり、我が国の国民資産に占める預貯金比率は高く、これが金融機関の規模や店舗を支える要因になっていることは間違いなかろう。この善し悪しはともかく、ビジネスが成り立つだけの取引が見込めるから店舗が存在するわけで、自由経済の下、それが真実でなければ淘汰されるだけの話だ。評論家による論評は、必要ない。

まさか、駅前の一等地に銀行の看板が目立つことをもって「過剰」を唱えているわけではないだろうが、ステレオタイプ思考で、当然のように「オーバーバンキング」を語られることは、本当の問題が見えなくなるという意味で迷惑ですらある。

 

誤解のないように願いたいが、筆者も「少ない」ことを声高に主張したいわけではないし、再編に無条件に反対するつもりもない。むしろ、何の特徴もない金融機関が1,133もあるのなら、「過剰」の声に諸手を挙げて賛同する。ただ、「こんなに金融機関が多い国はほかにはない」との認識がその根拠となっているのなら、それは明らかな誤りだ。

 

地域金融機関としての本分を果たしているのか否かを基準に、地銀再編が進むことは大賛成だが、誤った事実に基づく“統合ありき”の発想から、地域経済のキープレイヤーとなるべき地域金融機関を葬り去るようなことがあれば、それは地域経済にとって大打撃となろう。


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