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今できるささやかな「地域支援」

キャッシュレス決済の『影』

日本は現金決済王国であり、キャッシュレス分野においては後進国だと言われている。

いまやキャッシュレス決済が世界の潮流であることは間違いなく、早晩、キャッシュレス社会が到来することは間違いなかろう。しかし、今、これを加速させることが我が国にとって有益なのかについては、議論が尽くされていないように思う。

 

何をもって、キャッシュレス後進国なのか?

世間では、諸外国はみなキャッシュレス化が進んでおり、こんなに現金が使用されている国は日本だけだ!との声が大きい。しかし下表を見れば、諸外国の後塵を拝してはいるものの「日本だけ」は正確ではなく、「いまや諸外国で現金決済は稀」が誇張であることがわかる。


日本同様、貨幣経済が高度に発達しているドイツの普及率は低く、日本と似たような水準にある。『Pay Pal』を生んだアメリカでさえ、キャッシュレス決済比率は半数程度に過ぎない。25ドル以下の小額支払いについては現金比率も高く、逆に高額になると、まだまだ小切手(我が国の定義ではキャッシュレス決済手段には該当しない)が主流だと聞く。

そもそもアメリカは、大手クレジットカードブランド発祥の地で、四半世紀以上前から「非現金化」が進んでいたことを思えば、「支払いの2回に1回はキャッシュレス」と言われても、「昔からそうでしょ?」というのが率直な感想だ。


(サンフランシスコ連邦準備銀行調べ)


日本政府は『Fintechビジョンについて』の中で、キャッシュレス決済をクレジットカード、デビットカード、電子マネーによる決済と定義している。

この定義を踏まえて現在の日本を見れば、デビットカードだけはマイナー感が否めないが、クレジットカードについては、現役世代で「持っていない」、「使ったことがない」という人は、天然記念物級の『激レアさん』と言ってもよく、その利用についても、少なくとも“街”であれば、全国どこへ行っても使えると考えるのが普通だ。電子マネー・スマホ決済(以下、単に電子マネー)も幅広く普及しており、ICカードが23枚財布に入っている、あるいは決済アプリが23種類ダウンロードされている方も多いのではないだろうか。

現在の日本において、キャッシュレス決済手段を保有していない人は、高齢者を中心に存在はするが少数派であり、その土壌がないわけではないのだ。

日本がキャッシュレス後進国と呼ばれる所以は、キャッシュレス決済が“できない”のではなく、“その利用件数(利用率)が諸外国に比べて低い”ことにある。

したがって、よく語られる「外国人観光客が困る」は、嘘とまでは言わないが、大袈裟だ。キャッシュレス決済を望む外国人観光客はそうすればよく、周りの日本人の多くが現金決済をしていたとしても、それは彼・彼女らには関係のない話だ。

 

なぜ、日本ではキャッシュレス化が急進展しないのか

日本で、キャッシュレス決済の利用率が高まらないのはなぜだろう。

インフラがあるのに進まない理由…、マーケティング的には、この理由は一つしかない。「そこにニーズがない」からだ。

こう言うとキャッシュレス決済を否定しているように聞こえるが、もう少し丁寧に言うと、キャッシュレス決済に現金を押しのけるまでのメリット、魅力がないのだ。

 

ちなみに、あらかじめ白状しておくと、筆者は、特にキャッシュレス派との意識はないが、少なくともここ数か月間の決済は、ほぼキャッシュレスだ。

理由は明快、還元目当てだ。

拙速なキャッシュレス決済の推進に異論は持ちつつも、筆者は、せっかくのキャッシュバックを辞退するほど高潔でもなければ、その余裕もない“俗な一市民だ”。

ただ、個人的には、現金支払いは苦にならないので、来月以降どうするのかはわからない。

 

さて、それはそれとして…。

日本で、今なお“現金”が決済手段の主役であり続けているのは、端的に言えば現金に対する信頼性、安心感と、お客様至上思考がその理由だ。

まず、信頼性とは、「お金の価値が安定している」ことと、「偽札(偽硬貨)をつかまされる心配がない」ということだ。

世界を見渡せば、鞄いっぱいに詰め込んだ札束を積み上げなければ日常の買い物もままならないような国や、ひと月で貨幣価値が1/51/10になってしまうため、お金を現金で持っていると大変なことになる国もある。しかし『円』には、今のところ、こうした心配は無用だ。また、日本の紙幣、硬貨は、高度で特殊な技術により、世界的に見ても「偽造が困難」な通貨の筆頭格で、これまでもその信頼性が揺るがされたことはないといって過言ではない。様々な意味で、持っていても心配のない(=信頼できる)通貨なのだ。

そして安心感、具体的には、日本の教育水準の高さと治安、そして銀行サービスの充実である。

まず、日本人は、算数の域を出ない現金計算で戸惑うことがない(1,850円の買い物に対し、2,000円を出せば150円のおつりがくるという程度のことは、瞬時に計算できる)。

店側から見ても、従業員による不正や強盗の類も、諸外国に比べれば極めて少ないため、現金を扱うことが深刻な不安要素として認識されていない(むしろ、警戒心がなさすぎることが問題視されるほどだ)。また、銀行ネットワークも充実しており、入金に困るようなこともなければ、入金にあたって手数料負担があるわけでもない。

つまり、現金を扱うことのリスクやコストが極めて小さいため、販売者には、売上げの数%もの手数料を、クレジット会社などの決済事業者に支払ってまでキャッシュレス決済を導入することに対してインセンティブが働かないのだ。

そこに加えて、お客様至上思考がある。

欧米等とは異なり、まだ、今の日本では「現金お断り」などの“店側のルール”をお客様に押し付けるようなことは、受け入れられ難い。もっとも、前述のとおり、販売者にも現金受け取りを回避したいという思いは薄いため、“クレームにつながるリスクを負ってまで”現金を拒絶する理由がないのだ。

 

余談だが、こうしてみると、「日本は素晴らしい国だからキャッシュレス化など必要ない」の声にも一理はある。是正が望まれるような恥ずべき理由は一つもないのだ。

 

話を戻すが、決済手段として広く認知されるためには、少なくとも生活圏内の「どこででも使える」ことが必要だが、この点でも、やはり現金に勝るものはない。

クレジットカードも、店ごとに利用可能ブランドに差があるし、多くの事業者が参入した電子マネーでは、自分が利用している電子マネーが“この店で使える”とは限らない。その確認が面倒で「いいや、現金で」となる利用者も少なくないが、これが利用促進上の最大のネックであろう。

現金には、こうした心配が一切ない。これが、現金がその主役を譲らない理由だ。

 

キャッシュレス化がもたらす「負の事態」

キャッシュレス決済が普及しないことによって大きな不利益が生じていると主張する者は多いが、その論説には“都合の悪い部分には触れない身勝手なもの”も少なくない。そのメリットについては広く語られているところなので、ここではあまり触れられることのない裏側について、いくつか述べてみよう。

 

―「現金取り扱いによる損失」は稚拙な詭弁―

キャッシュレス化の推進者からは、現金決済のデメリットとして、現金の授受や保管、売上金の入金やつり銭準備のために銀行に行くなどの手間が発生することがあげられる。ここに費やされる人件費などの現金管理コストが無駄であるという理屈だ。

この点を殊更に大きく取り上げる識者は後を絶たないが、「銀行に行く」ことについて、事業者の視点から、キャッシュレス化の損得を考えてみよう。

ある事業者において、仮に、売上金の入金やつり銭の準備のための銀行手続きで、毎日、1時間を要し、時間給1,200円のコストがこのためだけにかかっていたとしよう。

一方、キャッシュレス決済を導入していると、事業者はその利用に対して手数料を支払わなければならない。計算しやすいように、この事業者の日商を10万円(休日等を考慮すると年商3千万円ほどの零細事業者だ)とし、売上金に対して3%の手数料(飲食店、小売店向けとしては、極めて良心的な手数料水準だ)を支払うとすれば、その手数料は3,000円/日となる(理屈上、100%のキャッシュレス化を実現しなければ、つり銭の準備等をなくせないのでその前提とした。日商が大きくなれば手数料はさらに増える)。

つまり、1,200円のコストを削減するために、3,000円の手数料を支払わなければならないということだ。例え2時間かかっても、毎日、銀行に行ったほうがいい。

年商3千万円程度の家族経営の零細企業から、年間百万円前後の手数料を取る、これがキャッシュレス決済の現実だ。

 

―売り手にとっては「現金のほうが“得”」(望まれないキャッシュレス決済)―

売り手側も、決済事業者に売上げを“ピンはね”されることのない現金決済のほうがありがたいと考えているのが現実だ。

読者の中にも、小売店等で「現金値引き」に遭遇したことがある方は少なくなかろう。

「現金での支払いに限り、〇%値引き」や、「現金払いでポイント付与(増額)」なども同様だが、クレジット等で支払われると、店としては、3~7%の手数料を負担しなければならないうえに、入金は1か月後などになる。ならば、手数料範囲内の割引販売をしてでも、今、この場で現金をもらうほうが、利益面でも、資金繰り面でも“得”なのだ。

収益力強化策の基本である売掛期間の短縮に向け、現金決済が理想であることは、会計上も常識だ。

このように、キャッシュレス決済が可能な店であっても、現金に誘導するような対策を講じる。これがビジネスの最前線にいる者の考え方であり、現実なのだ。

 

支払手数料の増加や売掛期間の長期化など、治安のよい日本で、優秀で信頼できる従業員を雇って業務を行う事業者にとって、キャッシュレス化は、得られるメリットの割に背負い込むデメリットが大き過ぎるものになる可能性は否めない。

≪巷で語られる『キャッシュレス化の効果』の落とし穴≫

収支絡みでは、その効果試算においても「都合のいい解説」が少なくない。

例えば、某社の試算によると、「キャッシュレス化により7,200億円の現金管理コストが削減でき、かつ1.3兆円に及ぶ電子決済手数料の増収」が見込まれる。

ここでは軽く流されているが、この1.3兆円は、天から降ってくるわけではない。加盟店が決済事業者に支払う手数料だ。したがって、決済事業者の「増収」であると同時に、加盟店の「コスト増」となるものだ。つまり、加盟店は、最大7,200億円の事務コストを削減するために、1.3兆円の手数料を支払うことになるわけだ。

また、同じく同社の試算では、「キャッシュレス決済の導入により、外国人観光客等による消費支出増が1.2兆円見込まれる」としている。

見た目の数字だけを見ても1.3兆円の手数料の見返りが、1.2兆円の増収では割に合わないが、1.2兆円の増収に対する決済手数料は、600億円前後のはずだ(料率を5%と仮定)。なぜ、1.3兆円なのか。算出過程の開示はないが、現在の現金決済の一定量がキャッシュレスに切り替わることもその要因として見込まれているのだろう。これは、加盟店にとっては、売上げは増えないのに手数料だけが発生する減益要因となるのだが、ここは触れられていない。

 

―事業と雇用の喪失の可能性(マクロ経済への影響)―

我が国における現金取扱いコストは、産業界全体で8兆円とも言われており、キャッシュレス化によって、少なくともその半分は軽減できるという説もよく聞かれる。

識者の中には、これを「社会的コスト」などと名付け、誰もその恩恵を受けていない無駄なコストであり、その削減は絶対的な善だと言わんばかりの主張をする人もいる。しかし、GDPにおける三面等価の原則を持ち出すまでもなく、誰かのコストは必ず誰かの収入になっているのであり、だれも恩恵を受けていないなどということはあり得ない。

8兆円の半分」が軽減できるということは、4兆円分ものGDPの消失と、これにかかわる仕事と雇用の喪失を意味しているということも忘れてはならない。

例えば、脱現金化に伴い現金管理機器需要がなくなれば、その取扱い大手のグローリーやオムロンなどの企業にとっては、柱の事業を一本失うことになり、これに携わっていた従業員は不要となる。あるいは、キャッシュポイントの提供を中核事業としているセブン銀行などは、企業としての存在意義さえ失ってしまうことになる。

労働面から見ても、前述のとおり、現金管理にかかるコストは7千億円余りと言われているが、これは50万人規模の人件費に相当する。すなわち、50万人もの人がキャッシュレス化によって仕事を失う可能性があるということだ。

もちろん、こうした既存事業を守るためにキャッシュレス化を阻止すべきとの考えはないが、コスト削減という耳あたりのよい言葉の裏で、こうした現実があることも理解しておくことは必要だ。

 

―個人消費の喚起によって膨らむ老後不安―

キャッシュレス化が進むと、財布の紐が緩くなるため、消費の活性化につながることも期待されている。感覚的に、納得される方も多いことだろう。実際、「現金派」の人たちが、それにこだわる理由のトップが「使い過ぎないようにするため」であることは、これを裏付けるものと言えるだろう。

しかし、これは本当に良いことなのだろうか。

読者の中には、「老後難民予備軍」という言葉を聞かれたことのある方も多いと思う。「貯蓄ゼロ」に代表される老後資金の蓄えが乏しく、老後の生活に経済的な不安があると考えられる人たちで、全現役世帯の4割を占めるとまで言われている。

しっかりと正業に就いているにもかかわらず「老後難民予備軍」に陥ってしまう原因は、端的に言えば「使い過ぎ」なのだ。キャッシュレス化は、この「使い過ぎ」を助長する可能性を秘めており、その先には、生活困窮老人であふれかえる社会が待っているかもしれない。

将来を見据えた財布のコントロールができるよう金銭教育の充実を図ることもないままに、「活発な消費を促す」という側面だけを見てキャッシュレス化を推進する政府には、将来、生活困窮老人であふれかえる社会を支えていく覚悟があるのだろうか。

 

政府の後押しがなくても、日本のキャッシュレス決済比率が諸外国並みになるのに、それほどの長い時間はかからないだろう。しかし「拙速な推進」は、インフラ事業者と決済事業者を利するのみで、売り手(店)、買い手(消費者)、政府のいずれにとっても、大きな危険を自ら招き寄せることになる可能性も秘めている。

キャッシュレス手段自体は相応に普及しており、その利用率が一部の国に比べて低いというだけで、税金まで投入して利用率を高めることが、本当に必要なことなのかは、慎重に考える必要があろう。

 

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