安倍首相は、6月16日、『未来投資会議』において「銀行間手数料」の引き下げに向けた検討を指示した。これが「キャッシュレス決済拡大の障害になっているため」らしい。
多くのメディアも「一般利用者の負担が軽減される可能性がある」と好意的だ。
中間コストである「銀行間手数料」が引き下げられれば、商品等の値下げにつながる可能性もあるとの認識のようだが、これは完全な事実誤認だ。
振込手数料はネックになどなっていない!
振込手数料は、金融機関ごとに多少の差はあるものの、最大でも1件800円だ。
『未来投資会議』資料では300円が例示(下図)されたうえで、「キャッシュレス決済を提供する店舗への売上金の入金も銀行振込によって行われているため、振込手数料の負担がキャッシュレス決済普及の障害となっている」と記している。
しかし「キャッシュレス決済を提供する店舗への売上金の入金」は、売上げ明細ごとに行われるわけではない。
仮に、毎日、決済代金の清算が行われていたとしても1日1回、信販、クレジット系に至っては、月1回が主流だ。しかも、振込手数料のうち今般懸案の「銀行間手数料」は、「117円/回」(振込金額次第では162円/回)だ。
もう一度言うが、これは最大でも1日1回限りの手数料だ。
仮に、ここで60円の劇的削減に成功しても、コンビニ1店舗当たり1日の平均販売点数(約3,000点)で単純割すると、1点当たり0.02円、平均来客数(約800人)で割っても0.075円と、1円にも遠く及ばない金額だ。月1回清算のクレジットを基準にすれば、1銭にさえ満たない金額になる。
到底、「利用者の負担軽減につながる」ような水準ではない。
もちろん、加盟店の立場では、手数料は、たとえわずかでも安いほうがいいに決まっている。しかし、こうした費用よりも得られるメリットのほうが大きいと判断したからキャッシュレス決済を導入したはずで、せいぜい数百円の振込手数料が「ネック」になるようなら、その何十倍もの決済手数料のかかるキャッシュレス決済など、やめるべきだ。
キャッシュレス決済の普及を目指した負担軽減を図るなら、最大のコスト要因であり販売の都度課される「決済手数料」の軽減に目を向けるのが普通だろう。
そんな中、経産省は「キャッシュレス決済の事業者が加盟店から受け取る決済手数料の料率を開示するよう義務付ける」との方針を示してきた。
「決済手数料」の軽減に向け、価格競争を生み出したいという気持ちだけは理解するが、残念ながら、自由経済、市場経済を完全否定する、稀代類を見ない愚策だ。
具体的な検討はこれかららしいが、日本が自由主義陣営から排除されることのないよう、落としどころはしっかりと考えてもらいたい。
話を戻すが、日々、数千円~数万円の決済手数料を支払っている中、振込手数料を問題視している加盟店など聞いたこともないし、あるとも思えない。
もっとも、キャッシュレス決済実績が少なく、受け渡し金額が些少な場合には、振込手数料が“目立つ”ことはあろう。もちろん、これは振込手数料の問題ではなく、使われもしないキャッシュレス決済を導入したことによる失敗だが、こうしたケースでも、売上金の受け渡し条件の調整によって解決するのが普通だ。
いずれにしても、「銀行間手数料」の引き下げに実務的な意義がないことなど、はじめからわかりきった話だ。
本当の狙いは、この議論をきっかけに、全銀システムを「優良なキャッシュレス事業者」に開放することなのではないだろうか。
ただ、これが消費者の利益につながることも、加盟店の拡大につながることもない。恩恵を受ける可能性があるのは、銀行免許も取得せずに為替業務を営むことができるようになるキャッシュレス事業者のみだ。
証券会社や保険会社にさえ認めておらず、決済機能を手中に収めるために銀行を設立している事業者もいる中で、彼らだけに、そこまでの便宜を図る必要はなかろう。
これほどあからさまな誘導は許されるのか?
今回の首相の発言は、「社会の公器」でもある銀行にかかわることとはいえ、個別取引の料金設定という“凄いところ”への言及だ。さらに会議資料を見ると、キャッシュレス決済の部分に限って“超具体的”な「方向性(案)」が示されている。
『未来投資会議』の設立趣旨に照らせば、特定業種への言及があることもやむを得ないとは思うが、その方法や仕組み作りにまでの言及は、さすがに行き過ぎだろう。
ただ、私権の制約やプライバシーの侵害には敏感に反応するメディアも、経営介入には寛容なようだ。
経済活動の中で政府が果たすべき役割とは、民間にはできない、関係法令等の整備や、マクロ経済上に生じるであろうリスクに対して備えることではないのだろうか。
例えば、「キャッシュレス化」や「AI化」などの普及自体は、基本的には民間に任せておけばいいことだ。本当に市場のニーズが大きければ、放っておいても急速に進展するに違いない。むしろ、憂慮すべきは、市場の要求を超えた“無理強い”によって、社会・経済にひずみが生じることだ。
コロナ禍でかき消されてしまったが、“キャッシュレス倒産”を増幅させてしまうなどがその典型例といえよう。
ここで政府が為すべきは、民間事業に便乗することではなく、その過程で生じるリスク、例えば、倒産やリストラで失われることが予想される雇用の受け皿となる産業育成支援など、変化による痛みを社会問題に発展させないための対策を講じることだろう。
民間は、自社利益の最大化を目指すことが宿命だ。そのため、景気を冷え込ませる行動もとることがある。
例えば、「雇用維持」を掲げてドラスティックなリストラを控える企業も、業務の効率化に応じた人件費の削減に向け、採用抑制等を通じて総人員の削減は行うのだ。
ならば、ここで溢れた人を受け入れる産業等を育てなければ、「キャッシュレス化」や「AI化」が失業者を生み出した“悪者”となり、それが普及を妨げる原因になるかもしれない。
これを取り除くこと…、特に、産業構造や地域間の人口動態を見渡したうえでの対策は、民間が考慮すべき課題でもないし、手にも負えないだろう。
いずれにしても、料金体系のあり方や手数料水準、企業コスト構造を見据えたIT化の是非など、民間が自分で考えるべきことにまで首を突っ込むのは、余計なお世話だ。
特に、地域金融機関のITシステムに関する記述に至っては、明らかに『共同化』を促しているが、業務、あるいは戦略の足かせとなることもある共同化の是非は高度な経営判断を要する。「自行庫の独創性を損なわない共同化の範囲」など、議論百出も当然の、銀行の命運をかけた重大決断だ。
共同化によってランニングコストが抑制できることなど百も承知だが、そんな些末な理由で進められるような施策ではない。
当該事案に限らず、これだけ情報が溢れ、競争が激しい中で、民間から「生まれない」「やらない」のには、「理由」があるのだ。概念的な理解だけで、民間の契約に圧力をかけることや、経営判断に口をはさむような真似は控えるべきだろう。
行政の発信は、我々民間コンサルタントの発言とは「重みが違う」ということも自覚してもらいたいものだ。
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