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今できるささやかな「地域支援」

三井住友銀行が開けた「パンドラの箱」

三井住友銀行で、銀行業界初、来店予約サービスの全店展開がはじまりました。

「思い切ったことやるなあ…」、これが、このリリースを見た私の感想です。

 

私にも経験がありますが、ロビーにお待ちのお客様が増えていく状況というのは、実は、銀行員にとっても大変なストレスです。

「いっぺんにじゃなく、順番に来てくれればいいのに…」。

銀行員なら誰しもが思ったことのあることで、『来店予約』は、もっともオーソドックスな解決策として何度となく話題に上りましたが、実現されることはありませんでした。

その理由は、銀行にはほとんどメリットがないにもかかわらず、リスクが大きいためです。

今日は、これを簡単に説明してみましょう。

 

銀行の合理化・効率化には寄与しない

 予約が可能であれば、“待ち時間”の心配をしなくて済みますから、利用者にとってはありがたいサービスといえるでしょう。

一方の銀行にしてみれば、予約の有無にかかわらず、お客さんは来るわけです。

また、事前に来店客数や手続き内容がわかっていようがいまいが、対応できる人員は決まっています。一般的な支店ではローカウンター担当者は総勢35名程度、来店客の来店目的に合わせて「それ用のメンバーを揃える」ことができるほど潤沢な(余剰)人員を抱えているわけではありません。

野球で例えるなら、もとより9人しかいないチームなので、相手チームや先発投手がわかっても、同じメンバーで立ち向かう以外の選択肢はないのです。

少人数前提によるオールラウンダー育成を基本とする行員教育の観点を含め、マネジメント的には、予約制が銀行にもたらすメリットは皆無といってもよいでしょう(冒頭記載の混雑に伴うストレスの解消が唯一のメリットでしょうか)。

『来店予約』の導入に対し、合理化・効率性といった“銀行側の都合”といった見解を示す人もいますが、今述べたとおり、それはありません。

 

『来店予約』によって銀行が負うリスク

逆に、このサービスの開始により、銀行側には3つのリスクが生じます。

まず、“順番待ち”に慣れた利用者にしてみれば、「予約がないと〇時間待ち」などと言われる一方で、後から来た予約客がすんなり案内されれば、「割り込まれた」感から憤慨し、苦情を生む可能性があります。

ただ、予約自体は、病院や美容室、一部の飲食店などではあたりまえに存在する仕組みであり、目新しいものではありません。銀行の利用方法としての社会的認知が広がれば、いずれ利用者のほうが「予約なしじゃ仕方ないよな」と思う日が来ることも考えられます。

懸念されるのは、予約受付がネット等で行われる場合、これらの取り扱いに疎く、予約なしで来店した高齢者が「後回し」にされてしまう可能性があることです。

次に、銀行手続きは、突発的に緊急対応を要する事態が発生することがあり、かつ代替が効きにくいため、予約が原則になると不都合が生じることがある点です。

美容室であれば、周期性がありますから早めの予約も可能ですし、都合で数日先延ばしになってもそれが大問題になることはありません。飲食店であれば、今日は別のところに行くという選択もできます。しかし銀行の場合、早急に対応しなければ仕事や生活に支障が生じることもあり得ますし、A銀行の口座だけど、今日はB銀行で手続きするというわけにもいきません。

予約を原則とする以上、予約客を差し置いた手続きは問題がありますが、かといって緊急顧客を「予約がないので後回し」とすることは、実務的な問題も引き起こしかねません。


最後に、予約を受けるということは、銀行は約束どおりの時間に受付をしなければなりませんが、それが可能なのかということです。

前の人の手続きが長引いた場合、順番待ちなら仕方ないですんだ話(少なくとも銀行側に落ち度はありません)が、予約を受けている以上、銀行側にも約束を守れなかったという「非」が生じます。

病院等で、予約時間を大幅に過ぎているのに一向に診察が受けられず、「何のための予約なんだよ!」とイラついた経験のある人も少なくないでしょう。病院の場合、重篤・重症患者がいたのかもしれないと思うと文句も言いにくいですが、銀行に対しては容赦のない苦情が寄せられることも考えられます。

 

また、個人的には、これからのローカウンターは事務処理ではなく、セールスを主体としていかなければならないと考えられる中で、ローカウンターのハイカウンター化にもつながりかねない今回の施策は、これに逆行するのではと心配さえしてしまいます。

 

おわりに

予約サービスは、それがまばらなうちは何とでも対処できますが、これが定着すればするほど、前述のリスクが顕在化する可能性が高まるため、誰もが手を付けられずにいた代物でもあるのです。

このサービスの成否は、利用者側の慣れ以上に、銀行側が“思い描いているような運営”(=前述のリスクを顕在化させない運営)を実現できるか否かにかかっていると言えます。

新しい挑戦ですから、今後の運用を通じて検証を重ねていくことになるでしょう。

これまでの銀行には、施策を打ち出すからには、パワーセールスを筆頭にどんな手を使っても実績を作り、“成功したことにする”という文化がありますが、今回は、撤回も辞さないフラットなスタンスで真の検証を行い、サービスの向上に結び付けてもらいたいものです。


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